院長雑感詳細

院長雑感(129号)

病院でインフルエンザが大流行している。最初は重症児病棟で節分の豆まき(家族も参加)の後に、数人の患者が出た。その後、一般病棟の患者や職員が次々に高熱をだし、インフルエンザA型(一部B型)であることが判明した。
 病院としても「緊急感染防止対策委員会」を招集し、情報の共有と感染対策を話し合った。感染した職員の出勤停止(期間)、タミフルの予防内服とその範囲、委員会等の集会の自粛、学生実習の制限、そしてマスクやうがい手洗いの励行等である。
 たまたまこの時期に、保健所の立ち入り検査もあり、すべての職員のマスク姿を見て、保健所長は「それで効果があるの」と半ば冗談交じりに言われたが、確かに「気合」に毛が生えた程度のものかもしれない(東京都荒川区立のある小学校での2007年2月5日~3月2日におけるインフルエンザ発症率は、マスク着用者で1.9%、非着用者で10.8%であり、マスク着用者の方が有意にインフルエンザ発症率が低いということが明らかになったとされている)。
 2月16日の時点では少しずつ沈静化に向かっているが、まだ予断は許されない。
■ 患者数
 1月の入院患者数は370.6人で、計画に対し02人の減となった。平均在院日数は、調整前で16.8日と全く問題はない。外来は173.5人と、計画比で9.8人の増となった。
■ 診療報酬点数
 1月の診療報酬点数は、計画比で入院では1,164,700点の増、外来も574,664点の増で、対計画では入院・外来合わせ1,739,364点の増となった。また4月からの累計では計画比6,868,534点の増なっている。
 8、9月で、7月までのマイナスを挽回して、一挙にプラスに転じ、10月は入院/外来と若干の減、そして11月は若干の増、12月、1月も予想以上の増で、成績の良かった昨年を上回っている。
■ 独法から新法人への移行
 2012年1月20日、政府は102ある独立行政法人を4割削減し、65法人に再編する基本方針を閣議決定(特会・独法改革基本要旨)した。その中で国立病院機構は「新たな法律に基づく別法人に移行する」ということになった。どのような形の法人になるのか当事者である私たち「独法職員」には大変気になるところだが、1月24日の国立病院機構院長協議会総務・あり方委員会の席上で、厚労省の片岡国立病院課長は次のように話された。
 今後の展開(段取り)として、2014年4月からの「新法人」発足を目指して次のようになると思われる。(「今まで、非公務員化などの議論は何度も先送りされてきたので、今回も先送りになるのではないか」という懸念に対して、課長は「閣議決定されたということは重たく受け止められることであり、来年の通常国会に法案の提出を目指して今年(2012)11月ごろまでに内容を固める。この間、省内に検討会(懇談会)を設けて現場の意見も聞きながら、法案の骨子をまとめることになる」と言明された。
 席上、矢崎理事長(以下理事長)は、「検討会の中で有識者と言われる委員に対して、今後の機構のあるべき理想的な姿をきちんと理解してもらって、法案に正しく盛り込めるかが重要である」。そして「この国にはもう財政上の余裕がないので、今後は結核、重症児、筋ジスなどいわゆる政策医療といわれるものにも、運営交付金などは期待できない。文科省などは今後必要少子化で経費は自然減の方向にあるが、逆に厚労省は高齢化で医療・年金・介護とも自然増となる。そのために新法人では、事業委託費などのような形で、個別の予算確保を図る必要がある」と述べられた。
 この委員会に先だって、ひと月ほど前の1月13日に機構本部の役員会と新年会が開かれた。
 その中でもこの問題が取り上げられたので、移行に際しての問題点などを記憶にある範囲で説明を試みる。(2月3日に機構本部での理事懇談会で、理事長から配布された「国立病院機構の挑戦と応戦」~理事長退任にあたって~も参考にさせてもらている。挑戦と応戦とは魅力的なタイトルであるが、できたこと(ほぼ解決された課題9項目)と、できなかったこと(残された課題2項目)について具体的に述べておられる。解決された課題では、職員の意識改革と経営改善を真っ先に挙げられているが、重心病棟改築の出資金の獲得は理事長からの大きな置き土産といえる)。
 「・・・今後、機構で気になることとしては、この4月から実施予定の障害者自立支援法の導入で、重症児病棟の経営が悪化するのではないかということと、また重症児病棟を担当する医師がいなくなるのではないかという懸念です。財務省としても財源が厳しくなっているので、どうしようもありません。それでも機構としてはセイフティネット機能としての筋ジスや重症児医療は、今後もきちんと運営していかなければならないと考えております」と、理事長は新年会の挨拶をそのような言葉で締めくくられた。
 二十数年にわたって個人的には、筋ジスや難病そして最近では重症児医療とも関わりを持ってきたのでこの言葉は殊の外うれしく、また印象深く聴くことができた。今までも行政刷新会議の仕分け作業などで、国立病院機構の特色を説明するときには取ってつけたように「政策医療」として取り上げられることはあっても、どちらかというと国立病院機構の医療としては影の薄い分野ともいえる。この発言で、理事長の気持ちの中に、旧国立病院の一般医療と旧国立療養所のセイフティネット医療を両輪として運営してこられ、今後も期待感をもってみてくれるということを確認することができた。
 思い起こせば8年前の平成16年4月、国立病院と国立療養所が独立行政法人(独法)として再スタートを切ったわけだが、その初代の理事長に指名されたのが、当時国立国際医療センターの総長だった矢崎先生である。この夜の挨拶でも当時を振り返りながらいくつかの思い出が語られた。就任が決まってある先輩に挨拶に行ったら、「巨額の赤字を抱えて、おまけに組合は強くて働きの悪い病院群に・・・」と、火中の栗を拾いに行くようなものだと言われたという。
 確かに当時は機構全体で財政投融資の負債が7500億円を超え、毎年2000億円以上の赤字を垂れ流していた。官庁会計のもとに院長も経営感覚に乏しく、また建物はどこも老朽化して厳しい条件がそろっていた。理事長は無謀にも、この沈みそうな泥舟の船長として乗り込まれたわけである。以降この8年間、改革を着実に実現させ、今や毎年500億円以上の利潤を上げる「独法の優等生」に変貌させたのである。
 私もいろんな機会に理事長から直接お話を伺ってきたが、この夜の挨拶でも自ら「笑顔で厳しいことがいえる」と話されていたが、硬軟織り交ぜた人ともいえる。いわゆる辣腕経営者というような印象ではなく、普段は温厚で決して声を荒げることなく、諄々と相手を説得されていく。新人の院長には「期限内にきちんとした成果を上げることができなければ、その責任を取ってもらいます」というような、厳しい言辞を言われた院長もいるという。おそらくリーダーとして持って生まれた素養と、また東大の医学部長の時の医局改革などで修羅場もくぐり、それらの経験がうまく融合して国立病院機構の舵取りに結実し
たのではないだろうか。現代のリーダーはかくあるべし、というお手本かもしれない。
 この夜は、最後の仕上げとなるかねて持論としてきた「新法人」移行への並々ならぬ決意と、現在の進捗状況にも触れられた。「厚労省は昨年10月ごろに風向きが変わり、機構の言い分をかなり理解してもらえるようになりました。でもやはり本丸は財務省で、簡単には移行を認めてくれない。懸案として、喉に引っかかったとげのような整理資源と公経済負担の問題(後述)を、いかにうまく解決していけるかにかかっている。大震災がなければこの3月までに、自分の手で片をつけたかったのですが・・・」とちょっと残念そうだった。
 最後に、「いろいろな業界で不況風が吹いていますが、医療産業は成長産業であり、いい医療ときちんとした経営を行えば、利益は必ず生まれます」と、実績に裏付けられた自信に満ちた言葉だった。
 しかし新法人への移行に関して、私も総論としては賛成するわけだが、今後の病院経営を考えたときに不安がないわけではない。独立行政法人としての様々な国の縛りや制約、官僚機構の弊害など挙げればキリがないし、もう少し「自由度」の大きい病院運営をしていきたいという思いはいつもあった。特に独法化以降のここ数年間は、多くの機構病院で多額の利益を計上してきたが、この金が患者さんのためには還元されずに、財務省に不当に吸い上げらそうな危惧を抱いていた。
  ところがである。
 2012年度からの自立支援法で、重症児病棟の黒字の幅が縮小し、もともと赤字であった結核病棟の補填ができなくなりそうである。おまけに過去債務や公経済負担、短期掛金率までアップするとなると、利潤の出る病院は一部の病院に限られてくるのではないだろうか。
 先日、看護学校に講義に行った時の雑談では、「機構が国立から離れそうだという噂話が、学生が機構病院を敬遠する大きな一因なんですよ」という教官の話だった。新法人になった時の財政の健全性については、いろんな角度から熟慮して議論する必要がありそうである。
 ただ先に触れた理事長の「退任にあたって」を読むと、「脱独法と脱公務員化」に対しては揺るぎない信念で語られており、理事長の先見性を信じるよりほかない。理事長自身は4年前に機構の経営が改善し収支相償化を果たして余剰金が出るようになったときに、「独法とは金が余れば国に返し、税金の節減のために常に事業の縮減と人員の削減を求められる組織」であり、数回の事業仕分けの議論の中で脱独法への思いは確信に変わったようである。そして今回の行政刷新会議による独法の見直しで、今後いっそう強まるであろう事業管理規制と公務員給与削減の動きをみて、自分の提示した方針が間違っていなかったと思われたという。
 さて1月の役員会では、移行に当たって最も大きな障害になっている「整理資源に関する会計上の取り扱い」についての説明が企画経営部からなされた。この過去債務とも呼ばれる「整理資源」と「公経済負担」については、以前にもこのランで説明したことがあったが、何度聞いてもわかりにくいので、一部追加しながら再掲する。
 まず整理資源についてであるが、これは年金制度がないために掛金を拠出してこなかった過去の勤務期間を、年金制度の加入期間として通算することによって発生する費用(「過去(勤務)債務」)を計画的に処理するため、通常の掛金以外に必要な追加掛金のことを意味している。
 具体的には共済組合制度のなかった昭和34年以前の公務員の掛け金を、現職の公務員数の比率に(JRなども負担している)応じて負担するもので、機構は5万人強を数えるためにその金額は多額となる。また負担しているOBは必ずしも我々のOBというわけでもないのも悩ましいところである。
 次に公経済負担について説明する。
 公経済負担は、国が基礎年金の給付費のうち一定の割合を負担するもので、現行では基礎年金拠出金の2分の1を負担しており、残りは保険料によって賄われている。昭和61年に年金制度が改正されるまでは、34年10月以後の期間に係る国共済年金の給付費の15.85%を公経済負担として国が負担していた。この制度改正により、国民年金制度が発足した36年4月以降の期間に係る基礎年金拠出金の3分の1を公経済負担とすることに整理された。これに伴い、ところがこの部分を「国」に代わって機構が例外的に運営交付金の中から2分の1を負担してきた。ということは、運営交付金から支払われなくなった時には国立病院機構で支払えということになるのか(平成16年に独法移行時にどのような経緯で書かれたのかわからないが、国立病院機構法に記されているのだという。国立病
院機構のような立場で負担している機構はないという)。
 ちなみに整理資源は運営交付金の中から22年度は179億円、公経済負担は115億円が支払われている。以前、池永課長の説明では公経済負担はともかく、整理資源については機構が支払わざるを得ないのではないかということだった。
 そこで企画経営部の今回の役員会での説明では、平成23年度の損益計算書(PL)に1400億円の臨時損失を計上することになり、ここ数年の利益余剰金は計上されないこととなった。そのため機構の全ての病院で総収支は赤字となるが、経常収支には影響を及ぼさないため病院評価や年度末賞与には支障はないとのことである。この辺りの細かいことは私には理解しがたいが、今後詳しい説明がなされていくものと思われる。
 ただこの整理資源を負担すれば、公経済負担の方は免れるのかについての説明はなかった。取引というわけではないが整理資源の支払いを機構が引き受けたら、公経済負担は国で別の形で面倒を見てくれるということではなかったかと思う。両方とも機構で負担することになれば、いわゆる運営交付金はゼロ査定が予測されており、今後経営的に極めて厳しくなることも考えられる。自立支援法の実施に伴う重症児病棟の経営悪化も重なって、機構の将来には財政面で暗雲が垂れ込めることになり、「いくらなんでもそれはないでしょう」と言いたい。
■ 成人力とは
 昨年12月24日の日経の特集では、「問われる成人力」というテーマのシンポジウムの要約と討論、そして作家の浅田次郎さんの基調講演が掲載されていた。浅田さんの主張はわかりやすく納得のいくものだったので、私見を交えて紹介したい。
 ところで「成人力」とは「知識ではなく、課題を見つけ考える力や問題解決能力など、生きていく総合的な力」と定義されている。このような話題のシンポジウムが開催されること自体、現代人が知識は豊富でも、いざというときの「生きていく総合的な力」が欠如していることの裏返しかもしれない。
 浅田さんは「壬生義士伝」など江戸時代をテーマにした小説を書いているが、そこで気づいた現代との違いを次のように述べている。すなわち武士は15歳で元服し、40歳代で定年で、その後は優雅な隠居生活が待っており、この時代に素晴らしい江戸文化を築いたのだという。現代と比較すると、約20年も早く人生を歩んだことになり、否応が上にも生きていく力を若い時代に習得したことになる。
 同時に、現役をリタイアした武士たちは、全国各地の寺子屋の先生を務めることが多かったようである。藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」では、前藩主の用心まで務めた主人公が隠居前には悠々自適な隠居生活を考えていたが、実際はそうではなくて寂寥とした感があるものだと描いている。そして「よろず相談所」的役割で、さまざまな難題を解決していく中で生きがいも獲得していく物語である。
 江戸末期に日本を訪れた外国人が驚いたことは、日本人の識字率の高さ(90%を超えていた)だったといろいろな本に書かれている。その大きな理由が全国各地に設けられた寺子屋であり、退役した武士たちが、半ばボランティアとして子どもたちに教育していたからに他ならない。またびっくりするのは寺子屋の数で、現在の日本の小学校の数に等しかったという。
 浅田さんの分析では、このようなことが可能になったのは、日本が島国で外国からの侵略に備える必要がなかったこと、国土の大半が山で占められ人の住める場所は限られていたためだとしている。その結果、現在の日本列島と同様に海の近くの平野部に集中して人が住んでいたので、このような教育が可能だったのではないかと分析している。例えばオーストラリアのような国土だと、人がばらばらに点在して住んでいるので、子どもたちを集めて教育することは至難の業であろう。
 年末にNHKの「坂の上の雲」が終了した。考えてみれば維新後のわずか30年ちょっとで日本が曲がりなりにも文明国の仲間入りができたこと、そしてロシアのような当時の先進国に列して戦うことが出来たのは、(テレビでは秋山兄弟や東郷平八郎などの英雄の活躍に焦点が当てられていたが)この識字率の高さが根底にあったからではないだろうか。
 そして「教養度が高かった明治時代に比べると、近ごろ日本人が少しずつ子どもっぽくなった気がする・・・・若返るというのは、いい方を変えればバカになるということでもある」と結論している。
 さて元に戻ってこの「成人力」であるが、討論なのかで浅田氏は、人間の力を全て総合した人間的な成熟度が成人力で、昔風のいい方なら「この人は人物だな」という人を指していると述べている。またシンポジストの一人の近藤氏(文化庁長官)は、欧米ではビジネスなどで問題に直面したときに手際よく片付ける問題処理の有無を指しているように思われるが、数字では測れないその人の持っている総合的な魅力や知恵ではないだろうかと。
そして物事を処理していくときには、周りのことも考え、周りの人と連帯しながら問題をなるべく摩擦が少ない方法で解決できる能力ではないかと語る。一方、雑賀氏(三井物産代表取締役)は「一言で言うと、人のせいにしないということではないだろうか」と言う。
そして「つたなくても自分の経験や体験から、周囲を巻き込みながら、組織としての最適の答えを見つける事のできる人と思う」と語っている。   
 「成人力」、皆さんはどのように考えますか。
■ 生きるということ 
 昨年11月ごろ、重症児に関する研究発表会を京都で開催したとき、南京都病院院長の宮野前先生から一冊の本を頂いた。「重い障害を生きるということ」(高谷清著、岩波新書)という本で、先日、福岡への出張の折、新幹線の中でやっと読む時間がとれた。
 高谷先生は京都大学を卒業後、小児科医局に入局、いろんなきっかけがあって「びわこ学園」に勤務されることになり、この間1984年から97年まで園長をされている。「びわこ学園」は当院の重症児病棟と同様に、医療機関(病院)でもあり、福祉施設(社会福祉法人)でもあるという、医療と生活の両方の機能をかね備えた「学園」である。
 さてこの本の中で、高谷先生はこの学園を見学された多くの人が、障害の重さに息をひそめ、言葉なく立ちつくしている姿を素直に肯定し、この経験が「その人の人生に何らかのかたちで影響があるかもしれないということでよいのだと思う」と書いている。「これだけ重い障害があるのに生かされているのはかわいそうだという見学者の気持ちに、答えてみたい」ということがこの本を書いた動機であり、「ほんとうに、生きているのが幸せなのだろうかという自身への問いにも答えてみたい」と思ったという。そのことはとりもなおさず、人が「生きるということ」について、また「生きる喜び」、人の「生きがい」
などについて考えることにもなる。
 私も以前、筋ジス病棟で働いていた時、何度も似たような経験をした。老人クラブの慰問で来られた方々が、病棟を一回りして出口のところで「ぐらしかな(かわいそうだなあ)、あたいは(私は)元気でよかった」というような感想をよく耳にしたものである。そのときはちょっと腹が立ったが、よくよく考えてみればそれは率直な感想であり、ただ時が経てば折にふれ、「かわいそうの意味を考えてくれる人もいるのではないか」と思ったものである。私が今まで筋ジス病棟についていろいろ書いてきたが、その原点は高谷先生と似たようなところにある。
 さてこの本は5つの章で構成されている。
 まず最初に自身がどうのようなきっかけから重症児医療に取り組むことになったかを語り、その後の章で重症児についての医学的な心身両面からの説明、そして歴史的にこの領域に取り組まれた人たちの紹介と現状、そして最後に「いのち」が大切にされる社会へで終わっている。
 重症児医療を語るとき、常に紹介される「びわこ学園」の創始者、糸賀一雄の思想についても詳しく触れ、「このひとたちが、じつは私たちと少しもかわらない存在であって、その生命の尊厳と自由な自己実現を願っており、うまれてきた生き甲斐を求めている」という言葉を紹介している。
 最後の第5章では、「いのち」が大切にされる社会へというタイトルで、冒頭の重い心身の障害があっても「生きているのはかわいそう」とか、「生きているのが幸せなのだろうか」という問いかけへの、高谷先生の意見が次のように述べられている。
 重い心身の障害を持つ人たちが、周りの環境やその不自由さを軽減できるように働いてくれる人たちの援助で、苦痛がなく安心できる環境が用意されると、からだ自体が自分の存在は気持ちが良いと感じるだろうし、生きていくことの基本的な喜びを感じるのではないか。そしてこのことに取り組んでいる人たちは、自分も気持ちよく仕事をし、生活をし、生きていく喜びを感じる。おそらく当院の重症児病棟で働いている職員の気持ちに共通することではないだろうか。そのようなことがなされうるような社会的なとりくみをおこなうことが社会の役割であり、人間社会のあるべきありようではないかと思う。
■ 基準値と正常値
 「T3とT4(甲状腺ホルモン)は正常なのですが、TSH(甲状腺刺激ホルモン)が高いのです・・・」と、机の上に検査結果の印字された数枚の紙を並べながら話し始めた。ある冬の寒い日の午後、鹿児島市の郊外にある難病相談・支援センターの相談室の中でのやり取りである。
 この70歳の女性、線維性筋痛症ということで、娘さんと大隅半島のある町から相談に来られた。7年ほど前に御主人が亡くし、それから半年ほどして、動悸やイライラ感などが出現して体調が優れなくなり、大学病院を受診した。甲状腺機能亢進症という診断で、抗甲状腺ホルモン剤(メルカゾールか)を処方された。ところが一度飲んだところ、どういう訳かパニック状態になり、今度は「機能低下」となった。以降ずっとチラジンの補充療法を受けているが、しびれ感や痛み、時には発作的にふらふら感や体のむくみが起きて時には絶望的な気持ちになるという。「私はもともとアレルギー体質もあり、大学の先生には薬は少量から始めてくださいとお願いしていたのですが」と恨みがましく言われる。
 「甲状腺末を飲まれていますから、TSHが少し高いのは当然のことで、他の検査はほぼ正常といえます。GPT(肝機能検査)が少し高いのは全く問題にはなりませんし、悪玉コレステロールの所に上向きの矢印が付けられていますが、これも全く問題のない値です。年齢を考えますと、検査上はほぼ正常といえます」。
 この相談者に限らないが、最近検診を受けて、その結果に心配されて病院を受診される患者も多い。検査結果もすべて印字されて手渡される時代で、自分の検査結果の数値の横に、基準値を外れると上向きの矢印や「*(米印)」が表示される。するとそれらの印が並ぶと、「大変なことになった」というわけで、取るものもとりあえず病院を受診する人が後を絶たない。
 ここで基準値と正常値について考えてみる。たとえば総コレステロール値は多くの病院では220が上限となっている。ところが一昔前には当院では230を上限にしていたこともあった。現在の基準値でいえば230だと高コレステロール血症ということになり、メバロチンなどの抗コレステロール剤を飲まなければならないことになる。しかし230という値が高いかというと、必ずしもそうではない。年齢やその人の状況(体重や他の検査データなど)によって、食事療法で対応できることも多い。
 また高齢になると、赤血球数やヘモグロビン値が基準値より下回っている人もいるが、必ずしも貧血といえるわけでもない。年齢やまた他の検査データとの兼ね合いで判断されるもので、基準値も定義上は「正常な人の95%が当てはまる値」と言われている。「60歳を超えると、何らかの異常はあるもので、あんまり検査しない方がいいのではないですか」と、つい医師らしからぬ事も言いながら、納得してもらうことだった。
■ なでしこ力(ぢから)
 もうずいぶん前のことになるが(昨年の秋頃だっただろうか)、筋ジス病棟の山田君から「なでしこ力(ぢから)」という本を勧められた(誰かが持ってきてくれた)。一度ぱらぱら読んでそのまま返すのを忘れていたら、この本の著者の佐々木監督が、1月10日にFIFAの女子最優秀監督賞に選出されたというニュースを聞いて、もう一度読み返すことにした。
 この本は正確には2011年1月28日に発行されている。日本がアジア大会で優勝し、女子ワールドカップ2011ドイツ大会の出場権を獲得したときに書かれている。ただこの本の中の最終章「なでしこの未来」で、「世界一という目標は、簡単にかなえられるものではないだろう。しかし、なでしこジャパンにとっては、今がその時だ。日本の女子サッカー界が「世界一になる」という目標のもと一つになって、その実現に向けて本気で取り組むべき時は、今なのだ」と宣言しているのだが、周知のように昨年の6月にこの夢を見事に実現したのだから、「凄い!」の一言に尽きる。
 この本を読みながら、サッカーという協議の持つ奥の深さ、戦術の妙味などを面白く読むことが出来た。世の中にはいろいろなスポーツがあり、特に団体競技として人気スポーツに挙げられるのは野球とサッカーだろう。ただ野球はどちらかというと、投げて、打って、走ることで比較的単純なスポーツで、チームとしての戦術的な妙味は少ない。ところがサッカーは一つのボールをゴールキーパーを除く20人の選手が奪い合いながら相手方のゴールポスト内に入れるという競技である。単純だからこそかチームとしてのフォーメイションや役割分担、そして監督の戦術により試合内容が大きく変わっていくことが面白い。頭を常に柔軟にし、先を読むことができなければ一流になれない競技である。
 以前から不思議に思っていたことだが、同じスポーツ選手でも、野球選手とサッカー選手では、インタビューしたときの答え方がずいぶん違う。もちろん人それぞれだが、多くの野球選手の答えは通り一辺倒の抽象的な感情表現が多い。ところがサッカー選手の場合には、中田元選手に代表されるように論理的に理路整然と答える。また語学面でも、大リーガーの松井やイチローはなかなか英語が上達しない(田口は例外)が、サッカー選手の場合は現地に早くとけ込み、流ちょうなその国の言葉を話す人が多い。サッカー選手は子どもの頃から海外を見据えて語学に興味を持ったり、勉強している人が多いためだろうか。
 さてこの本の冒頭に、「佐々木則夫流 11(イレブン)の心得」というものが挙げられている。列挙すると、
1.責任
2.情熱
3.誠実さ
4.忍耐
5.論理的分析思考
6.適応能力
7.勇気
8.知識
9.謙虚さ
10.パーソナリティー
11.コミュニケーション
である。私はこのイレブンに、「先を読む」を加えれば完璧で、サッカーのみならず病院経営にも当てはまる言葉だと思うことである。
 この本では2007年になでしこジャパン監督に就任して以来の軌跡や選手との係わり、エピソードなども絡ませながら展開する。今回FIFA最優秀選手賞に輝いた澤選手を攻撃的なポジションのフォワードから、彼女のボールを奪うという才能に注目して、ボランチというポジションに代えたエピソードも披露している。
 最後に「なでしこ力(ぢから)とは、「心を一つにする。厳しく濃密なトレーニングにも高い集中力で取り組む。崖っぷちに追い込まれても絶対に諦めない。どんな相手にも、臆することなく普段どおりの自分を表現する。そして何より、大好きなサッカーをとことん楽しむ」ことだという。
■ 消えゆく書店
 「老舗書店また姿消す」という南日本新聞の大見出しが目に留まった。
 鹿児島市の老舗書店・金海堂は市内唯一の伊敷店を1月いっぱいで閉じる。・・・金海堂は1921年に天文館で開業し、2000年には県内13店を展開。だがコンビニエンスストアの増加や県外大手の進出、ネット書店普及が重なり、店舗経営は年々厳しくなった」というような記事である。
 そういえば40年ほど前 、私の学生時代には鹿児島市の繁華街の天文館通りには、今回取り上げられている金海堂の他にも、春苑堂、、金光堂、吉田書店などが店が軒を並べていた。私は本屋巡りが好きで、よく自転車で出かけては、この4つの書店で立ち読みしたり、本を手に取って購入すべきかどうか思案することを楽しみの一つにしていた。書店にはそれぞれの特徴があり、たとえば高齢で気難しそうな店主のいた吉田書店では、岩波関係の硬派の書籍を取り扱っており、一方、医学関係の書籍は金海堂に多く、入り口を進んで一番奥の一角に並べられていた。その時分は、現在ほど頻繁に本の場所を変えることもなかったのか、この4つの本屋ではどの場所にどのような書籍が置かれているか大方暗記していたものである。当時は「いつでも好きな本を読めて、本屋さんもいい商売だなあ」と思っていたものである。
 ところが時代の波と価値観の多様化も手伝って、若者の文字離れも加速していく。まず吉田書店と金光堂が閉店し、春苑堂が蕎麦屋の吹上庵に代わり、最後まで頑張っていた金海堂は2005年になんとパチンコ店に模様替えしたのである。その後天文館界隈では、一時林田ホテル跡に岩崎グループが店を構えていたが閉店となり、現在では照国通りにジュンク堂(最近、マルヤガーデンに移転)と紀伊国屋だけになっている。
 私とこれらの書店との関係でいえば、もっとも関係の深かったのは春苑堂である。1999年に「かごしま文庫」の顧問をされていた作家の五代夏夫氏の推薦もあって、「難病と生きる」という単行本の執筆を頼まれた。そもそもこの企画は、亡くなられた先代の野添紀之社長が「21世紀を見すえた、新しい時代の鹿児島がさけばれるとき、日本の中の鹿児島、世界に開かれた鹿児島として『かごしま文庫』」は、その特色に目を向け、広く、人・風土・社会・産業・文化・芸術などを取り上げ、新しい時代の可能性を探っていきたい」という高邁な理想から出発しており、年間数冊ずつ発刊して100冊を目指していた。第1巻の「若き薩摩の群像」に始まり、「かごしま語の世界」「鹿児島の食物」「坊津」「天文館の歴史」「鹿児島のチョウ」「薩摩おごじょ」に続いて、第8巻が森重孝先生の「鹿児島の医学」で初めて医学物が登場した。私は56巻で、編集長は金蔵照雄先生(鹿児島大学皮膚科学講座教授の金蔵先生のご尊父)で、企画・校正など大変お世話になった。
 この本は当時の時勢によくマッチしたのか、鹿児島県内では一月ほどベストセラーの上位を占めていた。自分の本が書店のよく見える場所に平積みされるのはうれしいもので、よく本屋さんの店頭に出かけたものであるが、その時の本屋さんは、すべてなくなっている。
■ ラベリング
 2012年1月28日(土)、城山観光ホテルで第40回(旧)第3内科開講記念会が開催された。ということは、私も入局して39年が経ったということになる(私が卒業した年に3内科は産声をあげたが、私の世代は卒業して一年間は非入局ローテイトだったので)。
 この会に先立って、昨年4月に鹿児島大学保健管理センター教授(センター長)に就任されている伊地知信二先生の講演があった。伊地知先生はいろんな方面で活躍されている極めて優秀な研究者であり、奥さんは随分昔、当院の神経内科で働いたこともある丸目先生である。
 先生の講演のタイトルは「ラベリング」というものだったが、私には新鮮で興味深く聴くことができた。そこで、皆さんにもその概略を紹介したい。
 ところでラベリングとは、「ある社会集団はこれを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼る」というものである。日本でも戦前の治安維持法の時代、多くの人が「あの男は赤だ」というレッテルを貼られて、不法に監禁されたりしたことは周知の事実である。
 まず講演に先立って、出席者に一枚の紙とボールペンを配った。「このようなところで、このようなことをお願いするのは誠に恐縮ですが」という言葉を何度も繰り返しながら。
 そしてスライドを示しながら、「がんのない人が999人、がんになって体調の悪い人が一人いる世界を想定してください」「がん患者は、異常があると判断されて治療の対象になっています」。
  そしてマジョリティーとマイノリティーがひっくり返した場合のスライド(がんのない人が一人、逆にがんの人が999人)を供覧後、アンケートAはこのマジョリティーとマイノリティーの関係が逆転した世界(がんの人が999人)では治療の対象になるのはどちらだと思いますか?というものである。
①やはり、がん患者
②がんのない人
③わからない。
 私は素直に①とした。(本当はすべての回答は、あなたの意見ではなく人間社会ならこうなるだろうと思う選択肢を選んでください、ということである)。
 次のスライドは、「普通の男の子が999人、その場の空気が読めずコミュニケーションが苦手な男の子が一人いる世界を想定してください」、「その場の空気が読めずコミュニケーションの苦手な男の子は、自閉症と診断されて治療の対象になっています」。
 そしてマジョリティーとマイノリティーをひっくり返した場合(普通の男の子が一人と自閉症の子供が999人)のスライドを提示して、アンケートBは、このマジョリティーとマイノリティーの関係が逆転した世界では、治療の対象となるのはどちらだと思いますか?というものである。
①やはり、自閉症児
②普通の子供
③わからない。
 私は迷ったので③とした。
 その後も同様に、「妄想のある人、妄想のない人」、「幻聴の聞こえる人、幻聴のない人」でマジョリティとマイノリティのスライドを提示して、①から③の中から選択するというものである。
 私は大いに迷いながら②を選択した。

   この後、伊地知先生は突然江戸落語の「一眼国」の話を紹介した。
・・・一ツ目小僧に遭った話を聞いた香具師(やし)。さっそく一ツ目を捕まえて見世物にしようと地図を頼りに旅に出た.話のとおり「おじさん」と呼ぶ子供の声.さあこの一ツ目をさらおうと脇に抱えたとたん,子供の大声で大人たちが集まってきた.代官所に引っ張られた香具師が周囲を見渡すと・・・(一眼国)
 この落語の要点は、「二つ目の人間が一つ目小僧をつかまえて見世物にしようと、一つ目国に踏み入ったら、めずらしいとつかまって見世物にされてしまう」というものである。
 最近では「差別問題」などもあり、この落語の演目は演じられることは少ないらしいが、障害者に対する的を得た話であり、江戸庶民の常識の鋭さに感心する。
 さてこの後、「発熱のない女の子が999人、高熱で体調の悪い女の子が一人いる世界を想定してください」、「熱発者は、異常があると判断されて治療の対象になっています」。マジョリティーとマイノリティーをひっくり返した場合、治療の対象になるのは(アンケートE)どちらですか?
①やはり、熱発者
②発熱のない人
③わからない
 そしてそのあと、自閉症児、妄想、幻聴について前と全く同様な質問が行われた。
 一つの結論としては、「多数派・少数派変換テスト」で、がんや発熱等は多数派・少数派が反対になっても不変(ラベリングなし)であるが、自閉症、妄想、幻覚、一つ目小僧などはひっくり返る(ラベリングあり)可能性があるということである。
 すなわち
①内科的な病気や外科的な病気は、マジョリティーとマイノリティーが逆転しても通常は病気のままである。
②精神科的状態、心理学的状態、行動学的状態は、マイノリティーの方を異常としている場合がある。
③疾患であっても性格であっても、不必要なラベリングは避ける、とした。
 さてこの設問は見方を変えれば、価値観という問題で、本人に不利益(マイナス)がもたらされなければ、はたして治療が必要になるかという問題提起でもある。そして「正常・異常の別は数の多少にすぎず、価値の高低ではない」ということになる。
 私は2月12日(日)に神経線維腫症の医療相談を行うことになっている。この病気は遺伝性の病気であり、現在のところ根本的な治療法はなく対症的である。また皮膚に線維腫などが出現するので、美容的な意味でも悩みは深い。そこで、この伊地知先生の話をしてみようかと思った。ただ事はそんなに簡単なことではなく、私のような立場(一応健康とみられている)の者が軽々に論じていいものだろうかとも思った。筋ジストロフィーやALSのような難病の患者さんと長い間関わってきて、いつも感じる「のどに引っかかった棘」のようなものである。
 さて神経線維腫症では線維腫が神経系に悪い影響を及ぼせば問題となるが、皮膚の症状自体は医学的には大きな問題にはならないはずである。線維腫を持っている人がマイノリティ(少数派)であるため、マジョリティ(多数派)の人がそれを奇異な目で眺め、ともすると彼らに「弱い者」「異常な者」といったようなレッテルを貼っているに過ぎない。
 我々の社会は、この「多数者正常」の原則によって形づくられている。あらゆる身近な生活の規範からはじまり、法律までもがこの原則に基づいている。
 たとえば色弱の人に対する「差別」は昔から問題になっている。最近では大分緩和されてきたということだが、数年前にある大学生が県警を受験して「色弱」という理由で採用されなかったことがある。色弱だからということで職務に支障の出るような状況は想定しにくいし、極論すれば現在の信号機もマジョリティ優位に作られているというだけのことである。
 また右利きと左利きについても同じようなことになる。世の中に右利きが多いというだけのことで、多くの機械や道具は「右利き仕様」で作られている。左利きが多い世界なら左利きが使いやすいように作られたはずである。
 ただ今回のような医療相談会で話題にしていいテーマかどうか迷ったが、このアンケート調査の前に「筋ジスの障害を乗り越えて頑張って人たち」を紹介した後、このラベリングのことにしたいと考えている。
■ アポロとラーフル
 昔の先の尖った「鼻のある」バスで、今でも特に印象に残っているのがこの「アポロ」ではないだろうか。
 前方の鼻の左右に普段は奥ゆかしくたたまれているのだが、左右に曲がるとなると三菱のマークを長くしたような赤い「物体」が颯爽と飛び出して90度曲がるような形となり、行く先を指してくれたものである。
 ところが今やどの自動車も、ランプで点滅するようなウィンカー式になって、いつのまにかこの「アポロ」は姿を消してしまった。当時はこのアポロはアポロ製作所の製品に過ぎなかったが、アポロ=方向指示器という名誉ある地位まで確立していたのである。
 先日の昼休みのこと、私の院長室から廊下挟んだ隣の医療安全室(医療安全担当師長だけでなく、教育担当師長もおられるので、教育担当室ともいえる)での、他愛のない会話である。
 「あの、自動車の方向指示器はなんと言ったっけ?」と私が言うと、すかさず前田さんが、「先生、それってアポロのことですか」と。私はその懐かしい響きに興奮して、「そうそう、そのアポロ、アポロ」と叫んでしまった。アポロという言葉を聞いた瞬間、半世紀前の田舎を走っていたオンボロ乗合バスだけではなく、田舎の景色そのものが頭に蘇ったのである。
 ところが隣の後藤さんは、「アポロ宇宙船ですか。私はアポロと言ったら、宇宙船しか知りません」と、口を尖らしながらかみ合わないことを言う。前田さんと後藤さんとは50年も歳は離れていないのに、もう「言葉の断絶」が生まれている。
 言葉の断絶といえば、住んでいた場所によっても生まれることが分かった。
 アポロで盛り上がったところで、「ラーフル」という言葉が飛び出した。黒板消しのことであるが、最近ではチョークを使わなくなったのでこのラーフルも不必要になってきている。「ラーフルという言葉は全国共通語だと思っていたら、鹿児島とか宮崎の一部でしか使われない言葉らしいよ」と私が言う。「そんな言葉、私は知りません」と、都会(福岡市)育ちだという前田さんが今度は上から目線で発言する。
 するとこの場に及んで、アポロ談義では蚊帳の外だった後藤さんが俄然存在感を発揮し始める。後藤さんはバリバリの田舎人で、この近くの船津の出身だということである。「先生、よくラーフルの投げ合いっこなどしましたよね」と同意を求めるが、私は行儀がよかったのでそのような遊びなど記憶にない。
 そんなわけで、ちょっとした会話でさえも、かみ合わない世の中である。国家間の首脳会談ともなると、言語も年齢も育ちもまるっきり異なるわけで、一世を風靡した「ロン・ヤス」関係など構築することは至難の業ともいえる。
■ トイレ研究会
 「癒しのトイレ研究会」というところから、「病院と福祉のトイレ」(10号記念誌)なるものが送られてきた。10年前の2000年3月に内閣府が行った調査で、9割を超える家庭のトイレが洋式になり、温水洗浄便座が4割を超えるまでに普及したのに(予想より多いのにビックリしたが、新築家庭の場合なのだろうか)排泄行動が一番切実な患者のいる病院や福祉の場で、トイレ環境がまだ貧しいという認識で、この研究会は始まったのだという。
 幸いにも私はまだ入院した経験はないが、トイレの時間には神経質で、いつもの時間をはずすと出なくなってしまうことが多い。おそらく病院のようなところで、個室のようにトイレが各部屋にないところでは、大いに困るだろうと想像できる。
 病院を訪問したときには、時間があればまず行ってみる場所がトイレである。別に用足しに行くわけでもないが、トイレに行けばその病院の良し悪しが大方想像できるからである。このように書くとちょっと気になってくるのが、当院のトイレである。外来も病棟も数年前に増改築で建てた建物が多いので、トイレのスペースが十分に取れなかった。特に外来は一箇所のうえに狭く、患者さんには大変迷惑をかけていると思っている。ただ清掃には気を使っており、毎日2回業者の人が清掃してくれているので、大方きれいな方だと評価している。
 この本を読むとトイレの災害対策という特集で、東日本大震災でのトイレの状況が記されている。震災のときに大活躍したことでよく知られるようになった石巻赤十字病院では、2006年に海岸から4.5キロの内陸部に新築移転していた。大震災に対する備えとして、免震構造、二重化電源(受電本線が停電しても予備電源で受電可能)、非常用発電機(3日分の燃料確保)、衛生設備(上水と雑用水による2系統給水による危険分散)、空調設備食糧(入院患者用3日分)などが挙げられている。
 そして災害直後のトイレ対策として、水の節約(ペーパーを流さない・排泄音を消すための2度流し禁止)、感染対策(職員によるトイレ見回り・清掃、手洗い・アルコール消毒の励行)、混雑緩和(患者以外の人、ボランティアの人などは外にある仮説トイレを使用)に務めたという。
 石巻は三陸海岸で、今までも何度も津波の被害を受けている場所なので、その心構えが違うと思うが、当院の備えとは雲泥の差がある。今回の原発事故などで「安全」ということは日本列島どこにもないことははっきりしたが、コストとの関係もあり簡単に導入できないものも多い。事実、関東近郊の災害拠点病院でも、「どのようなもの(組み立てトイレ、災害用トイレパック、排泄物を固めるもの、地下水を利用する、期限切れの飲用水を便器洗浄に利用、特注の簡易トイレ)を備えていますか」というアンケート調査で、「している」という回答は25%に過ぎなかったという。
 事例紹介のコーナーで「小倉記念病院」が紹介されていた。先日、小倉の小柳弁護士を訪ねたときに小倉駅の前のビルが、この病院の建物だと合点がいった。心臓のバイパス手術等では世界的に有名な病院であるが、10階建ての心臓血管病棟と13階建ての総合病院からなるツインタワーで、2階部分が歩行者デッキで小倉駅と直結しているという。
 トイレに関しては「すべてのトイレを広く清潔に」というコンセプトのもとに、次のようにした。4床室トイレは車椅子が楽に入れる男女別の広いトイレで、壁掛け便器、・個室トイレは4つのタイプに、・外来トイレはすべてのブースにウオッシュレットと手すりを、・スタッフ用のトイレとして、各病棟に2つずつ設けて女性用と、女性・男性共用のトイレを配置したという。
 当院も次回の新築の時には、トイレをまず「優先順位」の一番で設計を考えていきたいと思うことである。
■ 冬虫夏草からFTYに
 一昨年、英の大学の研究チームがゴキブリや、バッタ、イナゴなどの脳内に、大腸菌やMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌:黄色ブドウ球菌が耐性化した病原菌で、多くの抗生物質に耐性を示す多剤耐性菌)を殺傷するこのできる強力な抗生物質が含まれていることを発見し話題をあつめたことがあった。ゴキブリも人の健康に役立つことがあるとは驚きである。このように化学物資の生成や分離技術が進んでも、天然の生物から有効な成分を分離する研究は今も精力的に行われている。
 「冬虫夏草」という変わった言葉が有名になったのは、1993年にドイツで開催された陸上競技世界選手権の時に、一挙に11個の世界新記録をマークした馬軍団の選手が驚異的な強さの秘密を「冬虫夏草を食べながら練習した」と語ったからである。その後馬軍団はドーピング問題等で、世界の表舞台から姿を消してしまった。
 さて冬虫夏草とは土に潜って冬眠する昆虫の体内に侵入して養分を吸収しながら菌糸を育て、暖かくなると地上に姿を現す子嚢(しのう)菌類バッカクキン科の「キノコ」で、古来漢方薬として不老長寿や精力源として珍重されてきたという。
 世界で350種位のものが冬虫夏草として知られているが、本当に効果のあるものは、この中のほんの一部の限られた種類だけらしい。
 さてこのキノコから、神経系の難病である多発性硬化症の再発予防の切り札とも期待される薬が出現した。新薬開発に絡んだ人とメーカーの頭文字をとって、FTY720(フィンゴリモド)と呼ばれている。Fは京都大学薬学部教授(現在名誉教授)の藤多哲郎さんで、Tは台糖株式会社(現在は三井製糖株式会社)、Yは吉富製薬株式会社(現在の田辺三菱製薬株式会社)である。
 この研究は1986年に始まったが、現在86歳の藤多さんは「それは直感と勘だけ、いささかドン・キホーテ的な研究だった」と振り返る。「冬虫夏草は生物の抵抗性を抑える物質を出しているのではないか」という閃が、この免疫抑制物質探しの出発点だったという。今やTとYを冠とする会社も統廃合でその名前を消し、薬だけが20数年を経て蘇ったことになり、まさに「ドン・キホーテ」的夢の実現ともいえる。
 さてこの薬は、リンパ節の細胞のS1P受容体に作用して、リンパ節から免疫反応を担うリンパ球が血液中に放出されるのを抑える働きがあり、新世代の免疫抑制剤ということになる。
 この薬の問題点は、薬価と未知の副作用にある。薬価は1カプセルで8172円で、毎日一錠飲めば、一年で300万円になる。ただ特定疾患に指定されているので個人負担は少ないが、特定疾患の医療費助成の財源は枯渇しそうである。一方、副作用に関しても、短期間の副作用報告はチェックされているが10年後などのような長いスパンでの検討はなされていない。
 現在、厚生科学審議会の難病部会でも難病の定義や見直し、高額医療費の問題が議論されている。例えばポンペ病に対する酵素補充剤ほどは高くないが、一錠で8000円強とはちょっと驚いてしまう。(JMS、2012年2月号、ジャーナリスト小川明の文を参考にした)
■ 人助けは自分助けだ(まほろば福祉会創立20周年記念誌から)
 先日、社会福祉法人「まほろば福祉会」から創立20周年「記念誌」が、「百年の孤独(焼酎))」とともに郵送されてきた。わずか20年で、6つの障がい者関連施設を有する宮崎県一の社会福祉法人に急成長した。この発展の影には、自らも筋ジストロフィーである理事長の山下ヤス子さんの人格と熱意に負う部分が大きいと思っている。「医者の不養生と言われないように、元気でいてくださいね」という、山下さんからのお礼状まで添えられていた。
 早速電話してみると、相変わらずの元気な声で、障がい福祉サービス事業所「天領の杜」の施設長も兼務しているということで、そこからの電話だった。「先週、岩尾さんが亡くなってねえ」ということ、当院にも長いこと入院していたことがあり、46歳だったという。ご冥福をお祈りしたい。
    「人助けは自分助けだ」(20周年記念紙への寄稿)
 まずは、20周年を迎えた「まほろば福祉会」に、深甚の敬意を表したい。難しいかじ取りを必要とするこの時代に着実に発展してきたこと、「自助、共助、公助」がうまくかみ合った結果と認識している。 
 先日、世界中の人に惜しまれながら56歳の若さで亡くなった「アップル社」のスティーブ・ジョブズ氏と、「まほろば福祉会」理事長の山下ヤス子さんには重なる部分がある。お二人とも、「失うものは何もない」という一種の開き直りから、ジョブズ氏は数々のアイデアを魅力的な商品として結実させ、いわゆるIT革命を成し遂げた。一方の山下さんは、「仲間の思いを一緒に実現させたい」という強い信念で次々に福祉施設を立ち上げ、今日の「まほろば福祉会」をここまで大きく発展させてきた。
 私が山下さんと親しくなったきっかけは、二つある。一つは平成6年に、やじろべえ作業所に厚生省研究班の「生活ガイドQ&A」を製本・印刷してもらったこと、もう一つは当院に入院していた筋ジストロフィーの轟木敏秀君が何度も「Be・Free」にお世話になったことである。敏秀君は平成10年の8月3日に亡くなっているので、今から考えてもかなり進行した状態でお世話になったことになる。それでもここの家庭的な雰囲気が気に入ったのか、はたまた好きな女性が出来たのか、何回もお世話になったように記憶している。一度など、心配してわざわざ加治木から着いて来たのに、部屋に入ると「もう用はない」という扱いで、「勝手にせー」と怒って帰ったこともあった。またその後も、当院から勇さんや岩尾さん、亡くなった山中さんなど大変お世話になったのである。
 とりわけ最もお世話になっているのは坂元兄弟だろう。兄の貴博君、そして弟の博樹君と、二人とも終日鼻マスク型の人工呼吸器を装着しているが、博樹君の方は経理面で山下さんの片腕となっていると聞いている。仕事場も隣の机だという(山下さんは理事長であるが、専用の部屋はなく他の職員と机を並べている)ことで、山下さんの口癖の「お金をもらっている間は死なない」を実践してくれている。
 山下さんはある会で、「仲間たちに支えられてここまで来たこと、そして仲間たちのために100歳まで生きなければならない」と語ったが、是非とも自からの健康にも留意して長生きされ、この「まほろば福祉会」をますます発展させて欲しいと願っている。
 山下さんの生き方をみていると、「人助けは、結局は自分助けだ」と思うことである。

院長雑感

交通アクセス

トップへ戻る